たのしい人生

コミケ出展告知とつくってるキーボードの話こと「ガスケットマウントやフレックスカットによる打鍵感の改善のメカニズム」の話と今年の振り返り

この記事は キーボード #1 Advent Calendar 2023 - Adventar 2023https://adventar.org/calendars/8789 23 日目の記事です。

adventar.org

22 日は ai03 さんの Altair (-X) の裏話 | Built with Notion 、24 日は m.ki さんの 36キーで事足りますか(その後) #自作キーボード - Qiita でした。

まず簡単に告知です。コミケ C103 2 日目の 12/31 (日) 東 U30b にサークル「kabesa*」として出展します。

技術とイラストのサークルとして第 3 号、「kabesa* vol.03」を発刊します

AI イラスト生成によるゆっくり形式の解説コンテンツとそれをつくるためのアダプター学習の話やモノクロフィルム現像写真集、短編小説、マンガ等引き続きざっくばらんな内容になっています。私は編集・デザインを担当しましたが今回は記事なしです…

フォト栞

作者: azami_86e40
予価: 1 部 300 円
作者コメント: SIGMA fpのマルチアスペクトから21:9を選択し、掛け軸や栞に見立てて楽しもうというものの一環です。それぞれの写真は、切り出して文庫本用の栞として使うことができます!

マンガ

作者: タイビィ
予価: 1 部 200 円
本誌上で講評を受けている原作マンガです。

ガスケットマウントやフレックスカットは打鍵感を改善するか?

ここからが本題。

概ね キーボードの内部マウント方式一覧 - Self-Made Keyboards in Japan の簡単な解説・考察です。

最近の打鍵感の注目点

最近の打鍵感の注目点、特に今回注目するマウントプレート・ケースについては「柔らかさ」「均一性」が 2 大トピックであると思います。そもそも「柔らかさ」が重要なのかどうか等の議論は一旦後半に置いておいて、この 2 つのトピックについてどのようなアプローチがありうるのか、また最新の事情はどうなのかについて見てみます。

まず「柔らかさ」に関して導入され現在も強い人気を誇っているマウント方式であるガスケットマウントやリーフスプリングマウントについて、その物理的特性を考えてみます。

上記の写真はガスケットマウントのはしりであり比較的低価格で日本でも人気を博した Polaris のガスケットマウント部分の写真です。キースイッチを支えるマウントプレートをケースに直接固定するのではなくクッション性のあるスポンジ状のクッション材によって挟み込むようにして固定することで、見ての通り柔らかな打鍵感を実現しようという設計です。

同様にこのクッション材を板バネに変更したのがリーフスプリングマウントです。名前のとおりですね。

いずれのマウント方法も底打ち時にマウントプレートが衝撃を吸収するように動くことで「柔らかさ」を実現しています。キーボードの宣伝としてわざわざキースイッチを強く押し込んでキースイッチが沈む様子を動画に撮るなど、マーケティング上のバズワード的な要素にすらなっています。

では、ガスケットマウント・リーフマウントは実際底打ち時にどのように振る舞うでしょうか?

ガスケットマウント・リーフマウントの「柔らかさ」を位置の関数として考える

基本的には lunar0 さんの以下 post の内容です。

ガスケットマウントを側面からの断面の 1 次元で考えます。マウントプレートは一旦剛体として歪まないものとします。「柔らかさ」は実質的にばね定数であると考えて、この構造の位置ごとのばね定数を求めてみましょう。

上に想定する環境を図示しました。マウントプレートのある位置  x_0 に力  F_{x_0} を加えているとします。それぞれのクッションやバネの反発力が  V_0 V_1 です。

ここでそれぞれのクッションについて独立に考えることにして下図のように片方を固定して考えます。

ここでモーメントの釣り合い (テコの原理と捉えてもよい) から

 \displaystyle
F_{x_0} x_0 + V_1 l = 0


ここで変位量を  \delta y とすると、ばね定数は  k = \delta V / \delta y なので

 \displaystyle \begin{align}
V_1 &= k_1 \delta y_l \\
F_{x_0} &= k_{x_0} \delta y_{x_0} \\
\delta y_{x_0} &= \frac{\delta y_l x_0}{l}
\end{align}


以上の関係から

 \displaystyle \begin{align}
k_{x_0} \delta y_{x_0} - k_1 \delta y_l l &= 0 \\
k_{x_0} \delta y_l \frac{x_0^2}{l} - k_1 \delta y_l l &= 0
\end{align}


これを右側を固定した場合も同様に考えて、左端を固定した場合の位置  x_0 におけるばね定数を  k_{x_0 1} 、右端を固定した場合の位置  x_0 におけるばね定数を  k_{x_0 2} 、どちらのクッションのばね定数も等しく  k とすると

 \displaystyle \begin{align}
k_{x_0 1} &= \frac{k l^2}{x_0^2} \\
k_{x_0 2} &= \frac{k l^2}{(l-x_0)^2} \\
\end{align}


ここで位置  x_0 における変位  \delta y_{x_0} を考えると、それぞれ左端・右端を固定した場合のばね定数  k_{x_0 1} k_{x_0 2} を用いて

 \displaystyle \begin{align}
\delta y_{x_0} &= \left(\frac{1}{k_{x_0 1}} + \frac{1}{k_{x_0 2}} \right)F \\
&= \left(\frac{x_0^2}{k l^2} + \frac{(l-x)^2}{k l^2}\right)F \\
\end{align}


ここから位置  x_0 におけるばね定数  k_{x_0}

 \displaystyle \begin{align}
k_{x_0} &= \frac{1}{\left( \frac{x_0^2 + (l-x_0)^2}{kl^2} \right)} \\
&= \frac{k l^2}{2x_0^2 - 2 l x_0 + l^2}
\end{align}


となり、位置  x_0 におけるばね定数  k_{x_0} x_0 の関数であることが示されました。

両端のガスケットのばね定数  k に対して、中心部ではばね定数が 2 倍になっている = 2 倍硬く(?) なっていることがわかります。なんとガスケットマウントはそのまま使うと「均一性」を損なってしまうのです。また周辺部のほうが柔らかいというのは人によっては直観に反するのではないでしょうか?

ガスケットマウントで「均一性」を回復する

上記のようにガスケットマウントは「柔らかさ」は導入できるものの打鍵感の不均一性も同時に導入してしまうということがわかりました。

では、ガスケットマウント・リーフスプリングマウントで損なわれた「均一性」を回復するにはどうしたらいいでしょうか?

上記の議論では簡単のためにマウントプレートを剛体として扱いました。ですが現実的には皆さん御存知の通りマウントプレートは多少柔らかくしなります。そしてこのしなりによる変位は直観どおりに固定点から遠いほど大きくなります。すなわち中央ほどやわらかくなります。

ここでわかる通り、ガスケットマウント・リーフスプリングマウントはそのまま使うと中心部が固くなってしましますが、マウントプレートは逆に中心ほど柔らかくなるので、これらを組み合わせれば均一性を回復できそうです。

おそらくこの問題と解決法にいち早く気づいていたのが、ガスケットマウント・リーフスプリングマウントを導入しカスタムキーボードに「柔らかい打鍵感」という観念を与え、マウントプレートにフレックスカットも同時に導入した、IRON シリーズのデザイナ「Smith and Rune」だと思われます。

geekhack.org

IRON165 は 2019 年に GB が行われた、リーフスプリングマウントを採用した最古参と思われるキーボードです。この geekhack の GB ページに Optimized Plate, the Process, and FEA analysis という章があり、ここで有限要素法によるスイッチ押下時のマウントプレートの場所ごとの変位量解析のレポートが含まれています。

https://geekhack.org/index.php?topic=101470.0 より引用

当時は「オーバーなアプローチだなぁ。しかも静的解析だとどの程度有効なんだろう?」などと愚かなことを思っていましたが、Smith and Rune はおそらくガスケット・リーフスプリングの導入で中心部が固くなる問題に気づき、同時にフレックスカットを導入することでマウントプレートを柔らかくし、全体として「柔らかく」かつ「均一性」のある打鍵感を目指していたことが想定されます。

その後、リーフスプリングマウントおよびガスケットマウントはあっという間にバズワード化しあらゆるキーボードがガスケットマウントと吸音フォームを採用したことは現状を見れば明らかですが、上で議論した通りガスケットマウント・リーフスプリングマウントおよびフレックスカットの導入は精緻な計画に基づく設計の調整が必要とされる複雑なプロセスであり、残念ながらこれらの設計要素を単に導入しただけでは打鍵感の向上に繋がるかどうかはなんとも言えなさそうです。

特に吸音フォームをマウントプレートと PCB の間にテンションを掛けて詰める設計などは、マウントプレートの柔軟性を損ない、ガスケットマウントの打鍵感の不均一性を強調してしまうおそれがあります。同様に一時期 Mode Designs が採用し、現在は採用されていない Stack Mount もマウントプレートの柔軟性を損なう可能性が高く、計算上ガスケットマウント以上に中央が硬くなってしまいます。面で支えるほうが均一になりそうなのに意外ですよね。

実際このような設計の難しさからか、最新のカスタムキーボードのトレンドは「トップマウント回帰」「脱フレックスカット」です。大手メーカーでなく、趣味としてカスタムキーボードを追求している設計者および購入者たちは、ガスケットマウント・リーフスプリングマウント等の柔軟な機構が、設計に過度の複雑性をもたらしていると考え始めている可能性があります。

情報を食べていないか?

個人的な反省なのですが、今年 無線キーボードランキング 打ち心地のとりこになる名機10選 - 日本経済新聞 にレビュワーとして参加させていただいた際、LogicoolFILCOREALFORCE や HHKB に混じって Keychron 製のキーボードが複数ノミネートされていました。Keychron といえば皆さんご存知かと思いますが、新進気鋭のメカニカルキーボードメーカーで、最近は Keychron Q シリーズといういわゆる自作キーボード / カスタムキーボード的な製品を次々とリリースしています。

Keychron Q シリーズの基本的な設計として

  • アルミ削り出しケース
  • ガスケットマウント
  • 多くの吸音フォーム
  • QMK 対応

という、モダンなカスタムキーボードの要素てんこ盛りという感じです。恥ずかしながら Keychron Q シリーズについて私は今まで触る機会がなく、なんとなく「これだけモダンなカスタムキーボードの設計を取り入れてるから打鍵感はそれなりにいいだろうな」と思っていました。

そんな Keychron Q シリーズが上記品評ランキングにノミネートされていたため、これはさすがに Keychron が勝ってしまうだろうなぁという予断を持っていたのですが、実際に品評会でそれぞれのキーボードを触りそれなりの文章量を入力してみた結果、個人的には Keychron Q シリーズのキーボードよりも「FILCO Majestouch Convertible 3」等の歴史あるメーカーによるキーボードの方が打鍵感がよく感じました。もちろん打鍵音等に関しては Majestouch Convertible 3 はバネ鳴りも筐体の金属音の残響も大きく、モダンなカスタムキーボードの観点からすれば厳しい評価をせざるを得ないのですが、それでもなお Majestouch Convertible 3 の方が個人的には心地よく打鍵できたんですよね (平等のために書くと Keychron Q シリーズも思ったよりは打鍵音もよくなかった)。

理由が語れるほど長く触って比較することもできなかったのでこれ以上の詳細については踏み入りませんが、この一件に関しては、再三「キーボードは触ってみないとわからない」と自ら言っていたにも関わらず、設計の情報から勝手に打鍵感を予想してしまっていたことをいたく恥じ入りました。同時に歴史あるメーカーの設計ノウハウの凄みを身をもって感じることができました。具体的な違いは言語化できていないものの、キーキャップの仕上げや材質、キーボードのチルト角、筐体の剛性、今思えば打鍵感の均一性など、微妙な組み合わせによってきちんと気持ちよい打鍵感が研究されているのだなと感心しました。

最近では HHKB Studio の内部構造が特に吸音フォーム等もなく非常にシンプルであるということも話題になりましたが、HHKB Studio はキースイッチとケース・マウントプレート、キーキャップ等の総合的な設計によってまるで静電容量無接点スイッチの HHKB Professional シリーズを思わせる、見方によってはより高品質の打鍵音と打鍵感を実現していました。それで十分素晴らしいですし、設計要素は手段であって目的ではないということは肝に銘じておきたいところです。ほしいのは「よいキーボード」であって、ガスケットマウントや吸音フォームではなかったはずです。

このような貴重な機会に恵まれなければ、某ラーメン評論家の言う通り「情報を食べて」しまっていたと反省しています。

www.youtube.com 反省を促す教訓動画

じゃあどうするか?

ガスケットマウント・リーフスプリングマウント、フレックスカット等柔らかいマウントプレートの組み合わせの設計が難しいということはこうしてよーくわかりました。ただ問題点だけ指摘して投げっぱなしというのもアレなので現在これを改善できる設計ができないか検討中です。

上記の柔軟性の導入に対する不均一性付随の問題の肝は、ばね定数の導出でも用いた回転方向モーメントの存在です。マウントプレートが押下に合わせて回転してしまうことが問題なのです。すなわち マウントプレートが常に回転せず平行に移動する 限り、マウントを柔らかくしても打鍵の均一性を犠牲にせずにすみます。そしてこの平行移動機構、キーボードを触っている人にとっては非常に馴染み深いもののはずです。そうです キースイッチ です。Cherry MX スタイルのキースイッチや静電容量無接点スイッチ、背の高いメンブレンスイッチはプラスチックの摺動レールによってスイッチの平行移動を実現しています。最近のメカニカルキースイッチはこのレールの精度を高めてキースイッチの軸がぐらつかない = 回転しないように血道を上げているほどです。なんと正解はめちゃくちゃ近くにあったというわけです。

現在はこの理論が実用的であるかを確認するために設計を始めています。来年 2024 年 3 月 2 日 (土) に開催のキーボードマーケット トーキョー に向けてこの機構を搭載したキーボードを発表・発売できればと考えています。遅すぎると言われたらそれまでなのですが、努力してみようと思います。

おまけ - 今年の振り返り

www.itmedia.co.jp biacco42.hatenablog.com keeb-market.jp

もう少しアウトプットしたいなぁ…

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